実際に奄美大島に移住または別荘を持つ実在の人物の人となりの紹介です。
移住支援情報を提供して下さる方々は、奄美大島に移住または別荘を持つ実在の人物ですが、
ボランティアであり「株式会社ねりやかなや」に直接の関与はありません。
プライバシー保護を目的に、個人情報の開示を制限しています。

【 Mr.&Mrs.ゆりむん 】 (2008.12更新)
ミスターは東京生まれ、ミセスは広島生まれ、沖縄の大学で運命の出会い。紆余曲折の末、奄美大島に辿り着いて6年。
奄美大島生まれの3歳児の30代のパパとママ。
奄美市笠利のカフェを経て、龍郷町芦徳にヴィラをオープン
奄美大島生まれの3歳児の30代のパパとママ。
奄美市笠利のカフェを経て、龍郷町芦徳にヴィラをオープン

亜熱帯オーベルジュ ヴィラゆりむんを運営する健康だけがとりえの二人です。
宿泊施設の運営とランチタイムの営業で、これまで忙しかったのですが、ランチタイムの営業を止めて、宿泊とディナータイムのみのレストラン営業に絞ってからは、やっと少しは時間的にゆとりが持てるようになったように感じます。
ミスターは時間があれば、サーフィン三昧??シーカヤックも学生時代からやっています。
ミセス.は子育ての真っ最中だから、ゆとりの世界にはまだ程遠い?
子供がお昼寝中の読書や映画鑑賞が息抜きです。
沖縄の大学に通っていたので、南西諸島を第二の故郷と感じていたのが大きいと思います。
ミスターは卒業後、沖縄に残り、昼間はシーカヤックガイド、夜はイタリアンレストランで修業。
ミセスは故郷に近い島根で保健婦になったけど、結婚を決意。
結婚後、二人で高知に移住。理由は山、川、海の3拍子揃ったところだったから。
高知で約3年間過ごした後、1年間、ニュージーランドでワーキングホリデーを経験しました。
言葉もできないお金もない外国人労働者になってレストランで働き、「ど根性精神」を養った後、
「やっぱ、故郷日本に帰ろう!」。
故郷日本の落ち着き先が奄美大島だった。学生時代に訪れたことがあったし、南西諸島以外は考えられなかったから。
東京から車に載せれるだけの家財道具を乗っけて、船でいきなり奄美大島に来ちゃった。
幸い、家と仕事がトントン拍子でみつかった。ハローワークでホテルのレストランの職が見つかり、半年間勤務。
その後、小さなカフェを開きました。
今や沖縄は大都会。奄美大島には、南西諸島の自然、人々の暮らしぶりが残っていると思います。
サーファーのミスターから言わせれば、サーファー人口の少なさ(というか人口自体が沖縄と桁違い)も大きな魅力だと思います。
サーファーのミスターから言わせれば、サーファー人口の少なさ(というか人口自体が沖縄と桁違い)も大きな魅力だと思います。
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