奄美大島移住までの道のり

     メンバーが奄美大島に辿り着くまでの紆余曲折の実話です。
MASUMI
GON&HILO
奄美大島でのMASUMI
【 MASUMI 】 (2008.12更新)
早期リタイヤで奄美大島に移住後、50代半ばの夫に先立たれた40代後半の未亡人。
東京生まれの東京育ち
移住歴1.5年 龍郷町龍郷在住
現職はこのサイトの運営、元外資系経営コンサルタント
奄美大島移住までの道のり
 移住を考えるようになったきっかけ

移住を考えるようになったきっかけ

年齢や職業、家族構成など、その方の状況によって感じ方は人それぞれでしょう。

ファームは別でも同じ職種(外資系経営コンサルタント)だった私たち夫婦は、夫婦揃って東京にいる時は時間に追われていました。さらに、夫のポジションよりも下端だった私は数か月のプロジェクト期間中は月曜日の始発から金曜日の最終新幹線まで出張、土日も仕事をしていることが多く、多少偉くなっても週2日海外出張に行くことや、部下ともども土曜日の朝日を会社で迎えるような生活を長年送っていました。

さらに、クライアントの守秘義務があるため、夫婦であっても仕事の内容は会話しない、特に買収案件などになると仕事場自体が同僚からも隔離される会議室になるなど、東京にいる間は夫婦で精神、体力の両面で臨界点寸前になっていたことが多かったです。

必然的に休暇は「何も考えず、ダラダラしていたい」欲求が夫婦して強くなっていたと思います。深層心理下で休暇中は「全くの自然体」でいることが場所を選ぶ絶対条件だったと思います。化粧はしない、ハイヒールは履かない、ジャケット着用などのドレスコードがあるようなホテルは嫌、予約をかなり前に必要とするような混んだレストランには行かないなど、都会での過ごし方と完全に無縁になりたかったのだと思います。

「週末旅行は鄙びた温泉やキャンプ、数日休めれば海」が基本パターンに徐々になっていきました。南の島は「何もしなくてもリラックスできる」、「その日の気分でやりたいことがすぐにできる」、「海に浮いているだけで最高にいい気分になる」場所でした。

朝、海を見ながらボーっと太陽が昇るのを見て、シャワー替わりにホテルの目の前の海でシュノーケリングをし、海を見ながら朝ごはんを食べ、ボート、シュノーケリング、釣りをやりたい時にやり、遺跡や地元のスーパーに異文化を見つけに行き、昼寝前にマッサージを受け、私たち以外にもダラダラしている観光客や地元民と他愛もない話をし、「ねぇ、どこに何を食べに行く?」と相談し、地元食材にびっくりし、普段は時間に追われて読む気にもならない推理小説を読み、満天の星空を見上げながらお酒を飲んで酔っ払って寝ることが夫婦にとっての最高の休日でした。

 これまでに行った海外南国リゾートは?

これまでに行った海外南国リゾートは?

仕事のせいもあって、海外渡航歴はかなりあります。訪れていない大陸は南米、オーストラリア、南極ぐらいでしょうか。

その中で私が訪れた南国リゾート系は、メジャーな所ではハワイのオワフ島、マイアミビーチ、ニューカレドニア、サイパン、タイのバンコクとプーケット島、インドネシアのバリ島、フィリピンのマニラとセブ島。マイナーな場所では、インドネシアのロンボク島とプロウスリブ島、フィリピンのボラカイ島、北マリアナ諸島のテニアン島とロタ島に行っています。

夫婦でリピートした場所はバリ島とボラカイ島ですね。どちらも「ハマった」と夫婦して思い、5年間ぐらい毎年通い続けました。現地に友達もでき、土地勘や勝手もわかってくると楽しいし、アメリカナイズされていない独自の文化があるのが良かったです。バリ島通いを始めた頃に日本人でも移住者が結構いることを知り、「いいねぇ…」と夫と話すようになりました。バリ島からボラカイ島にスイッチしたのは、ジャカルタでテロがあって渡航禁止になったから。

バリ島にてバリ島にて
バリ島にて

ボラカイ島は、マニラに長期出張していた同僚から教えてもらい、存在を知りました。マニラから十数人乗りの壊れかけたセスナでボラカイ島の隣の島の空港に行き、そこからまた20分船に乗って、やっと到着するかなり移動に不便な島です。

でも、透明度の高い海、長く続く真っ白なホワイトサンドビーチ。ハワイみたいに背の高いビルは一つもなく、宿泊施設、民家の大半はバナナハウス(バナナの葉を編んで作る)、アジアを代表するような掘立小屋のショップ。レストランもほとんどがオープンエア。まさに私たちの望んでいた自然体の島でした。

ボラカイ島はヨーロッパからの旅人が多く、特に欧州の太陽に飢えた人々が3カ月程度の長期滞在する島です。長期滞在者が主体の島なので、滞在コストも他の島に比べたら破格でした。ちなみに、ボラカイ島に2週間、セブ島1週間の滞在コストは、飛行機代を除いたホテル代を含めた総額でボラカイ島は1桁安かったです。

例えば、ボートをチャーターする価格が絶対的に他のリゾートよりも安かったです。移動もタクシーではなくて、自転車やバイクにリヤカーをつけた人力系。価格交渉で値段が大きく変わりますが、私たちはその交渉自体を楽しんでいました。

レストランは食事を楽しむヨーロッパ人が相手なので、価格を考えると許せる味の所がそれなりに揃っていました。別荘オーナーと言えばドイツ人でしたね。管理は現地の人々が驚くほどの安価で引き受け、着いたらすぐに休暇を満喫できる環境でした。私たちにとって、ボラカイ島はまさに「楽園」で、この島が移住の夢を描く原点になりました。

ボラカイ島にてボラカイ島にて
ボラカイ島にて

もっとも、移住直前に再度訪ねた時は信じられないくらいお洒落な店が揃ったモールもでき、コンクリートで覆われたホテルがビーチに立ち始め、海も前ほどの透明度を保っておらず、「あー、ここもセブ島みたいになっちゃう…。」とかなり興醒めしました。

 これまでに行った国内南国リゾートは?

これまでに行った国内南国リゾートは?

東京に住んでいる間に最もよく行ったビーチは、西伊豆の岩地温泉。かなりマイナーですが、西伊豆の大都市松崎の隣にあるホワイトビーチの温泉です。東伊豆と異なり、西伊豆自体が交通の便の悪さのおかげで、観光客の数も少なく、海の透明度も高く、擦れた都会の雰囲気がないので、私たちのお気に入りの近場リゾートでした。

かなり長い間「休暇と言えば岩地温泉」と言うくらい通いましたが、温暖化のせいか、7月上旬でもクラゲが大量発生するようになり、国内の南の島に行先が変わりました。

これまでに訪れた島は、南から与那国島、西表島、小浜島、竹富島、石垣島、沖縄本島、古宇利島、伊江島、沖永良部島、カケロマ島、奄美大島、平戸島、対馬、淡路島、佐渡島です。

佐渡島や平戸島は単なる観光と美味しい食材を求めて行っただけですが、その他の島々は頭の片隅ぐらいですが移住を意識して遊びに行っていました。

「ここに住んだら楽しい?」と思って島を見ていると、今まで気がつかなかった現実に目を向けるようになりました。大好きな自然だけでなく、生活していかねばならないのですから、生活の利便性はもちろんのこと、地価、東京へのアクセスの良さと交通費、移住受入状況に加え、医療環境、物価、食材の違い、面積、人口密度を意識するようになりました。

面積と人口密度は住環境に大きなインパクトを与えます。狭ければ面白くないことがあった時に逃げ場がなくなり、人口が少なければ病院や店、さらに行政機関の出先もなくなり、島外へのアクセスも悪くなります。

 移住候補地に行って何をしたの?

移住候補地に行って何をしたの?

まずはどの島でも島内一周。
どんな町や集落があるのかを実際に見て、病院や買い物場所の位置と施設の中を確認して、行政にも話を聞きに行き、不動産物件も見て、自分たちの知人ではない地元の人々、移住した人々に話を聞いたりしました。ちなみに、初対面でも好意でいろいろ話してくれる人は結構います。

東京にいた時は本当に時間に追われ、時間を買うためにいろいろなサービスを受け、やっと作った時間で何とか気持ちのゆとりを取り戻そうとしていました。夫婦して、仕事を離れた都会暮らしには何の楽しみも期待もありませんでした。だから、「自然の中でゆるゆるとゆとりある時間を持ちたい」が望みで移住しようと決めていました。では、その「ゆとりのある毎日って何だろう?」は都会では全くイメージできなかったので、実際に疑似体験をしようとしてシーズンオフの旅が始まりました。

トップシーズンは場所を問わずビーチリゾートであれば楽しいもの。だから、一般的に楽しくないと言われているシーズンオフの過ごし方がイメージできるかを大事にしました。ちなみに、シーズンオフだと飛行機代も宿泊費も安上がりになるので、長期滞在の視察には持ってこいです。

ちなみに、実際に移住してくると、都会にいた時とモノに対する感覚や時間の過ごし方も完全に変わりました。奄美大島での日々の生活にはDIY(Do it yourself)要素がかなり加わり、お稽古事やゴージャスな食事や買い物、劇場/美術鑑賞などなくとも、大自然に囲まれ、変わる天気を見ながら、ゆるゆるとその日を暮らすことに苦痛などないです。

 遊びに行くのと移住は何が違うの?

遊びに行くのと移住は何が違うの?

移住を意識し始めたのは、2000年くらいからでしょうか。最初はボラカイ島で「移住の夢」を膨らましていました。でも、セブ島で夫が知恵熱を出し、ボラカイ島で私の日光アレルギーの症状が悪化したことから、医療環境の重要性を考えるようになりました。

セブ島は大きな病院も揃っており、ホテルまでドクターが夫の診察に来てくれ、点滴を打ってあっという間に治りました。私の日光アレルギーは地元診療所で治りましたが、島内に入院施設は全くなく、診療所の医師で手に負えなくなるとヘリコプターでセブ島に緊急輸送されることをその時に知りました。それから、単に素晴らしい自然、移住者受入状況、生活コストだけでは判断できないと思うようになりました。

また、緊急の所要で生まれ育った場所に戻る可能性を考えて、アクセスの利便性も意識し始めました。別荘であれば気にしなくてもいいかもしれませんが、移住を目的にした私たちにとっては医療とアクセスの良さは重要な要素になりました。

その結果、海外は全て見送り、国内に絞ることにしました。それまでの海外リゾート休暇は全て国内の海系リゾートでの休暇に一変しました。

 最終候補は?

最終候補は?

私たちが本当に具体的に考えたのは、石垣島と沖縄本島、奄美大島、対馬ですね。いずれも数回通って、候補に残すかどうかを絞り込んでいきました。

石垣島は面積が狭いことに加え、乱開発が進んでしまったことと気候についていけないことで、すぐに候補から外れました。自然を解していないとおぼしき観光客が大量に押し寄せ、大規模ホテルが乱立し、サンゴ礁など自然の素晴らしさが飛行機の便数などの利便性とトレードオフされて、「そのうち、ただの暑い島になる」不安がありました。それに、サンゴが隆起してできた島なので、真夏は昼間の太陽光線の凄まじさに加えて、相当高い湿度で苦しみました。

対馬は釣りをする人にとっては天国のような所で、どこでも鯛、アジ、サバなど本当に美味な魚がどんなに下手でもすぐに釣れました。飛行機なら福岡からあっという間に着き、さらに温泉も数か所あって、知人もいる関係でかなり最後まで悩みました。でも、結果は冬が寒すぎることと、かなり「果て」感が強いということで却下となりました。ちなみに、対馬の観光客と言えば韓国人で、地元の人に「東京から来たぁ?何しに?」とさんざん聞かれました。

対馬にて
対馬にて

2001年くらいから奄美大島は最有力候補でした。全く混んでない、透明度の高いビーチや森が至る所にあるのに、日常生活はそれなりに便利。人口は少な過ぎず多過ぎず、アスファルトに覆われている面積が沖縄に比べてすこぶる少ないところも気に入りました。奄美大島は海だけでなく、森もいっぱい。夏の海にはクラゲがいないし、森歩きはハブの出ない冬が一番。釣りはオールシーズンできるし、温泉はないけど女性泣かせの公共のタラソもあったので「楽しそうだ」と言うことになりました。

沖縄本島は、奄美大島に決める前に最後に見落としがないかを検討するために最後まで候補として残しました。何と言っても、奄美大島とは全く比較対象にならない直行便数とディスカウントチケットがあり、また沖縄には既に大勢の移住者がいたからです。

でも、…
ある程度便利な場所となると東京都下並みに地価が高い、地価の安いきれいな海は那覇、名護辺りからかなり離れないと残っていない、離れた場所は生活するには不便すぎる、混雑していてアスファルトが多過ぎて、まるで暑すぎる東京にいる気分になり、さらに「ハブクラゲ」という猛毒なクラゲがいて、ほとんどのホテルの前のビーチでは「クラゲネット」が張られることでクラゲが入らない=魚も入らないので、シュノーケリングしても興ざめでした。

 奄美大島は広いけど?

奄美大島は広いけど?

奄美大島に決めたといっても、沖縄本島と同じくらいの大きな島です。私たちは空港のある北部から奄美大島一の繁華街である名瀬までの間の海沿いの土地を探すことにしました。

場所選びはもっぱら不動産物件依存でしたが、太平洋側にするか東シナ海側にするかは悩みどころでした。なぜなら、夏と冬では風向きが正反対になり、夏は台風、冬は大陸からの寒波が気になったから。ちなみに住んでからわかりましたが、台風の風向きは一定じゃなくて、本当に上陸したらどっち側の海だろうが大変だそうです。

夫が今の住処の景色に一目ぼれして、龍郷町龍郷に住むことになりました。空港からも名瀬からも車でおよそ30分のところで、地元の人々から見ると「田舎」です。東京育ちの私からしたら、移動時間30分なんて近所感覚ですけどね。

 これから奄美大島への移住を検討する方々へのアドバイス

これから奄美大島への移住を検討する方々へのアドバイス

病院や学校事情、生活利便性に加えて、行政サービスがどこまであるのかは越してからその重要性を認識します。県庁が近いか支庁があるかで手続きが大変になったり、運転免許の更新にどこまで出向かねばいけないのかが決まったりします。

でも、本当に大事なのは地元の人々の風土やローカルコミュニティに対する認識だと私は思います。恐ろしいことに、DINKS(Double income no kids、子無共働き夫婦のこと)だった私たちは、東京の自宅では友人以外の近隣付き合いは挨拶程度しかなく、ローカルコミュニティの重要性や緊密性を全く認識しないまま移住してきました。私たちは非常に恵まれた場所に越したのだと後から理解しました。

一方で、ゆっくりと流れる島時間や地元の慣習や人々に溶け込めず内地に戻る人もいます。都会でしか暮らしてこなかった人間にとっては、台風養生など地元の人々の昔からの知恵を教えてもらうのは非常に大切なことだと痛感することは多々発生します。

さらに私の場合はこの地で夫を亡くした時に、地元集落の方々に本当にお世話になりました。亡くなった晩から呆然としている私に代わって、葬儀の手筈を一緒に考えて下さり、東京から来る弔問客の空港までの送り迎え、弔問客の食事を作り、喪服の着付けを出勤前にして頂き…、数えたらきりがないくらいです。今も一人きりになってしまった私を陰ひなたから支えて頂いています。本当に感謝してもしきれないです。

都会では考えられないほどの人間関係の濃さは人口密度と比例するのだと思います。島に限らず田舎暮らしであれば自ずと近隣で起こることは噂などで耳にするし、新参者は自分が意識していなくてもすぐに周りに認識されます。「干渉されるのは嫌だ」と思うか否かは人それぞれの考え方次第だと思います。 私の場合は、私に降ってきた不幸を今まで口を利いたことのない人まで知っていて、その方々にも気を遣って頂いているのを感じ、繭の上にいるような優しさを痛感しました。