
東京生まれの東京育ちの30代後半男性とちょっと年上のミセス、家族4人暮らしで、6歳の長女と3歳の長男のパパとママ。
移住歴2年 奄美市笠利在住
GONは元介護施設管理者、現シーカヤックツアーガイド。Masumiのカヤックの先生、HILOはサーファーの薬剤師で、今は病院勤務

僕がパタゴニア正社員をやめ、週一回のアルバイトになった。そこに、数人が新しく入社してきた。その中の一人がHILOだった。新人にメールオーダーの研修をしてほしいと主任に頼まれ、僕がHILOにいろいろ教える事になった。
メールオーダーチームには、人の縁を取り持つのが大好きな年上のお姉さんスタッフがいた。その人が僕らに何かを感じたのか、周りを巻き込んでいっきに恋人ムードを盛り上げていったんだ。
そんなムードメーカーもいて、なんか僕もごく自然に彼女とつきあう様になったというのが感想かな。そうして、二人の始まりの場所になったのがパタゴニアであり、一緒に行った小笠原だった。島と海は、切っても切れない人生の一部になったんだ。
結婚してからしばらくは東京で暮らしていて、GONはパタゴニアで働き、私は薬局勤務をしながらパタゴニアを手伝っていたの。でも、ある日、GONが人生を変えちゃったかも。
GONはずっとシーカヤックの仕事をやりたがっていたけど、なかなかショップから脱出できなくて、いったんは家業を手伝う決意をしたわけ。でも、そのとたん、「西伊豆でシーカヤックガイドを手伝わないか?」って、知りあいにお誘いを受けたのよ。でも、家業を手伝い続けるつもりで、その話は断るつもりで伊豆に出かけて行ったの。
そしたら、家に電話がかかってきて、「やっぱり、やることにした。」って言いだしたのよね。それも、駅のホームで事故にあったのが理由だって言うから、びっくりしちゃった。
GONいわく、「額をかなり深く切ったんだよ。でね、考えたんだ。やりたいことをやらないって言うのは間違いだって。」
そして、二人して西伊豆に引っ越したんだ。
西伊豆では、GONはシーカヤックインストラクター、私は薬剤師の仕事をしていたわ。二人して田舎暮らしは好きだったし、長女も西伊豆で生まれたのよ。
でもね、長男を妊娠していたときに骨折して、今度は私が「人生の転機」を感じたの。「このまま西伊豆にいないで、どっかに引っ越そう」って言い出して、南の島へ移住しようで話がまとまったの。
近いところから、伊豆諸島の三宅島、八丈島、御蔵島
小笠原の父島母島なんか、20回以上は行ってる。
沖縄本島も行ったし、
沖縄慶良間群島の座間味島、
沖縄八重山諸島の宮古島、石垣島、西表島、新城(あらぐすく)島
サイパンにも行ったわ。
僕はもっといろいろな所に行ったな。
海外なら、カナダのトフィーノ、バンクーバー島、バーガス島
インドネシアのバリ島、ジャワ島、
沖縄県だったら、石垣島、西表島、小浜島、本島、渡嘉敷島、座間味島、渡名喜島、粟国島、伊江島に行ったし、
鹿児島県の与論島、沖永良部島、徳之島、カケロマ島かな。
僕はカケロマシーカヤックマラソンに何度も出場しているからね。
一回は沖縄から奄美までシーカヤックで行っているし。
二人ともいろんな島に行っていたから、私が行ったことない奄美に行ってみることになったの。
薬剤師っていう私の職業はある程度人口や広さがないと、働き口がないのよね。小さな島だと診療所になって、薬剤師はいらないから。
だから、大好きだった小笠原も候補にならなかったの。看護師だったら、あまり気にしなくてもいいのだけど。
石垣島はピンと来るものがなかったから、没にしたわ。きれいなところだけど、住む気にならなかったの。
沖縄のその他の島々は、GONが「駄目」だって。彼はカヤックの知り合いが大勢いて、その人たちとお客さんを取り合うのをすごく嫌がったの。
奄美はカヤックマラソンの関係で南部には知り合いもいたけど、北部は全く知らなかったら北部に住もうと思って住まいを探しに来たわ。
僕は奄美に移住する前に7回島を訪れているね。
で、家捜しでは奄美に2回来たわ。大体、4日程度過ごしたわ。
レンタカーを借りて、島をぐるぐる回ったけど、借家は見つからなかったの。
結局、僕の友達のMr.ゆりむんが知り合いに頼んでくれて、あっさり家は見つかったんだ。
ぼろぼろの貸家だったけど、西伊豆の家も同じようなものだったよ。
場所にはこだわったけど、家にはこだわりはないからね。
中学から高校に上がるときに生徒の1/10くらいは島外に出るらしいけど、鹿児島の高校とかはスポーツ進学とか都会よりも選択肢があって、寮も完備されているのよ。
保育園も待機児童はほとんどいないの。職場に近いか家に近いかで悩むくらいで、どこの有名幼稚園にするかなんていう悩みはないわ。
都会と違って、奄美の学校の門はいつも開いているし、素直にみんな制服を着ているのよ。
交通手段が自家用車になるので、ちょっと離れたところに住む友達と遊ぶ時には親が送り迎えをしないといけないけど、それって私立の学校に電車で通っているのと同じよね。
奄美の人は学校行事とか集落行事にまじめに取り組むし、子供たちは常に親以外の周囲の人々にも見守られていることを痛感するわ。帰省してくる子供たちも知り合いだし、知らない子供がいたら「どこから来たの?」って言ってみんな心配するのよ。
挨拶も儀礼じゃないし、人間関係が濃いから、安心することが多いの。干渉されているなんて感じないわ。
都会じゃ経験できないことが沢山あるわ。都会じゃお金のかかる人工物のあるところにしか子供を連れて行けないけど、ここは入場料も駐車料金もかからない。
安心して勝手に遊ばせておける場所も多いしね。
難点と言えば、小児科が名瀬にしかないことかな。
笠利に住んでいると、一番近い薬局も20分くらいかかっちゃう。
求人はあるけど、大半がガテン系のアルバイトみたいなもの。
ほとんど最低賃金の時給だし。
だから、ホワイトカラーの職種を求めても、ほとんど実現しないわ。
でも、誤解して欲しくないのは、都会で暮らすほどお金は必要じゃないってこと。
「収入が下がると生活水準を落とす」って考えがちだけど、生活水準自体が都会と違うもの。
奄美で暮らしているとそもそもお金を使うところが少ないし、家賃が都会と全然違うことを認識した方がいいと思う。家賃が低い分だけ、実質所得があるってことでしょ?
それに、子供にお金がかかりがちな都会と違って、ゲームセンターもないし、おもちゃ屋も少ないから、衝動買いのしようがなかったりするの。
本当に暮らしたかったら、何とでもなるし。
素直にやれることをやるだけでいいところだってわかってほしいな。